今日は映画「白パンと独裁者」を観にいってきました。
今回も、いつも行っているイオンシネマでは上映されていませんでした。
最近は観たい映画があっても、近くの映画館では上映していないことが増えてきました。
以前なら「上映していないなら今回はやめておこう」となっていたかもしれませんが、時間に余裕のある今は、少し遠くても観に行ってみようという気持ちになります。
ということで、今回は新宿駅近くにあるミニシアター「武蔵野館」まで出かけてきました。

美しい島が舞台
この映画の原題は「Amrum」。
ドイツ北部、デンマークとの国境に近い北海に浮かぶ島の名前です。
映画を観るまで、私はこの「Amrum」という島のことはまったく知りませんでした。
島には美しい自然が広がっていて、海岸には広大な干潟があります。
干潮になると、隣接する島まで歩いて渡ることができるほどの広い干潟が現れるそうです。
アザラシやウサギなどの動物も生息していて、北海に浮かぶ自然豊かな島。
そんな美しい場所が、この映画の舞台になっています。
映画の中でも、島の自然が印象的に描かれています。
広々とした海や干潟、風にさらされる草原など、一見するととても穏やかで美しい風景です。
しかし、その美しい風景とは対照的に、そこで暮らす人々の生活には戦争の影が深く落ちています。
この「美しい自然」と「暗い人間の生活」の対比が、この映画ではとても印象に残りました。
戦争が終わっても、すぐには終わらない
物語の舞台は、第二次世界大戦末期のドイツ。
戦争の終わりが近づき、ドイツの敗戦が濃厚になっている時期から物語は始まります。
主人公の少年ナニングは、母親や家族とともに島で暮らしています。
ヒトラー政権の終わりが近づいているとはいえ、母親は依然としてヒトラーに心酔しています。
そして、ついにヒトラーが自殺。
ドイツは敗戦し、戦争は終わります。
普通に考えれば、戦争が終わったのだから、これからは平和な生活が始まる。
そう思ってしまいます。
ところが、この映画が描いているのは、そんな単純な「戦争が終われば平和になる」という話ではありません。
戦争が終わっても、人々の生活はすぐには元に戻りません。
食べるものも十分にありません。
これまで信じてきた価値観も崩れていきます。
そして何より、戦争によって心に深い傷を負った人たちは、戦争が終わったからといって、その傷が消えるわけではありません。
むしろ、戦争が終わったことで、それまで押し込めていたものが一気に表に出てくるようにも感じられます。
「はちみつとバターを塗った白パン」
この映画の中で、とても印象的だったのが「白パン」です。
母親が望むのは、はちみつとバターを塗った白パン。
今の日本で暮らしている私たちからすれば、決して特別な食べ物ではありません。
パンにバターを塗り、その上にはちみつをかけて食べる。
それだけのことです。
ところが、戦争直後のドイツでは、それが簡単には手に入らない。
食料そのものが不足している状況の中で、白パンはとても貴重なものです。
ナニングは、そんな母親の願いをかなえるために奔走します。
この「白パンを手に入れる」という出来事が、映画の中では単なる食料調達ではなく、戦争によって壊れてしまった家族や、人間の心を象徴しているように感じられました。
戦争中は「国のため」「勝利のため」といった大きな言葉が人々を支配します。
しかし、戦争が終わって残るのは、結局のところ「今日何を食べるのか」「明日どうやって生きていくのか」という、ごく当たり前の生活です。
白パン一つを手に入れることが、これほど大きな意味を持つ。
そこに戦争の恐ろしさを感じました。
少年の揺れ動く心
ナニングはまだ少年です。
大人のように政治や戦争のことを理解しているわけではありません。
それでも、周囲の大人たちの言動や社会の変化を敏感に感じ取っています。
母親はヒトラーを信じ続けています。
しかし、戦争が終わり、これまで信じていたものが崩れていく。
少年であるナニングの目を通して見ると、大人たちの世界がいかに矛盾に満ちているのかがよく分かります。
昨日まで正しいと言われていたことが、今日は間違っている。
昨日まで英雄だった人間が、今日は罪人になる。
そんな急激な変化の中で、少年の心も大きく揺れ動きます。
戦争そのものを直接描くというよりも、戦争によって人間の心や家族の関係がどう変わってしまうのか。
この映画は、そこをじっくり描いているように思いました。
特に、ヒトラーに心酔してしまった母親と、現実を感じ取り始めている少年との関係には、見ていてつらいものがありました。
母親もまた、戦争によって傷ついた一人の人間なのだと思います。
だからこそ、単純に「悪い母親」と片付けることもできません。
戦争は人間の心そのものを壊してしまう。
そんなことを感じさせられました。
美しい自然の中にある悲劇
この映画を観ていて何度も感じたのが、舞台となっている島の美しさです。
海、干潟、草原、動物たち。
戦争とはまったく無縁に見える自然が、そこにはあります。
自然は何も変わらない。
人間が戦争を始めても、戦争に負けても、海はそこにあり、潮は満ち引きを繰り返します。
それなのに、人間だけが傷つき、憎み、苦しみ、そして生活を壊していく。
この対比がとても印象に残りました。
美しい景色を眺めながら、その場所で人々がどんな思いで生きていたのかを考えると、余計に胸が苦しくなります。
ラストで涙
そして、ラストの母親とナニングのシーン。
ここは本当に胸にくるものがありました。
それまで積み重ねられてきた二人の関係や、戦争によって受けた傷、そして少年の心の変化。
いろいろなものが最後の場面に集約されているように感じました。
気がつくと涙が頬を伝っていました。
派手な戦闘シーンがあるわけでもなく、戦争の悲惨さを直接的に見せつける映画でもありません。
それでも、静かに描かれる人々の生活を見ていると、戦争がどれだけ人間の人生を狂わせるものなのかが伝わってきます。
「戦争は終わった」
それだけでは、人間の心に刻まれたものまでは終わらない。
そんなことを考えさせられる映画でした。
映画館でちょっと気になったこと
ところで、映画とはまったく関係のない話ですが、今日ちょっと気になったことがありました。
少し離れた席に、おじいちゃんが一人で座っていたのですが、上映前の予告編が始まった頃から、どうも寝息が聞こえてきます。
しかも、時々いびきまで聞こえてくる。
「あれ、もう寝てる?」
と思いながら映画を観ていました。
途中で少し起きたのかもしれませんが、映画が終わって場内が明るくなると、そのおじいちゃんも目を覚まして、そのまま出ていきました。
映画を観に来たはずなのに、ほとんど寝ていたような……。
「いったい何しに来たんだろう?」
と思ってしまいました。
もしかすると、単純に涼みに来たのかもしれません。
この暑い時期ですから、映画館は涼しくて快適です。
そう考えると、それはそれでありなのかもしれません(笑)。
まあ、映画館にはいろいろな楽しみ方があります。
今日のランチはスープカレー
映画を観終わった後は、今日のランチです。
今回は新宿サブナードの地下街にある「土鍋カリーぽんた」というお店に行きました。


いただいたのは、野菜カレー。
お値段はちょうど1,000円でした。
映画の内容がかなり重く、戦争や家族、心の傷などを考えながら映画館を出たので、ランチくらいは明るくいきたいところです。
運ばれてきたカレーは、サフランライスとの組み合わせ。
ちょっとスパイシーな味わいで、これがなかなか美味しい。
映画で重くなっていた気持ちを、スパイスが少しずつ元気にしてくれるような感じです。
やっぱり映画の後に美味しいものを食べるのはいいですね。
映画でいろいろなことを考え、ランチでお腹を満たす。
これも映画を観に行く日の楽しみの一つです。
まとめ
今日は新宿の武蔵野館まで足を延ばして「白パンと独裁者」を観てきました。
美しい自然が広がる島を舞台にしている一方で、そこに暮らす人々の生活は戦争によって大きく傷ついています。
特に、ヒトラーを信じ続ける母親と、その姿を見ながら少しずつ現実を理解していく少年ナニングの姿が印象に残りました。
「はちみつとバターを塗った白パン」という、とても小さな願いをめぐる物語の中に、戦争によって失われたものや、人間の心の傷が凝縮されているように感じます。
そして最後の母親とナニングのシーンでは、思わず涙が出てしまいました。
映画を観終わった後も、しばらく頭の中に残る映画でした。
今日は少し重い映画でしたが、その後に食べたスープカレーが美味しく、最後は少し明るい気持ちになって帰ることができました。
映画を観て、いろいろ考えて、美味しいものを食べて帰る。
時間に追われることの少ない今だからこそ、こういう一日を楽しめるのもFIRA生活の良さなのかもしれません。
