今日は公開終了ギリギリになってしまいましたが、ずっと気になっていた映画
「兄を持ち運べるサイズに」を見に行ってきました。
オダギリジョーは以前から“わりと好きな俳優”で、新作が出れば「観に行きたいな」と
自然と思ってしまう存在。
今回の作品も例外ではなく、ずっと気になっていました。
ただ、なかなか都合がつかず、気づけば公開終了間近。
これはもう今日しかない!と意を決して、ようやく映画館へ向かうことにしました。
■ 今日のお供:ホットのカフェオレと新作ポップコーン
ネットで調べたところいつもの映画館での上映がなかったので、
少し遠くの別のイオンシネマまで足を伸ばすことにしました。
結局イオンシネマです☺️
今回の映画のお供は、ホットのカフェオレ。
そして気になっていた新作「あずきバターポップコーン」
ほんのり甘いあずきとバターの香りがふんわり広がり、
しょっぱい系とはまた違う新鮮なおいしさ。
こういう映画館での“ささやかな楽しみ”が、作品の印象まで少し豊かにしてくれる気がします。

■ 物語は「兄の死の知らせ」から始まる
主人公のもとに届く、警察からの一本の電話。
それは、離れて暮らしていた“ダメ兄貴”の死を知らせるもの。
兄は、ことあるごとに嘘くさい理由をつけては金の無心をしてくるような人物で、
疎遠になりがちだった存在。
突然の訃報に戸惑いながらも、遺体を引き取りに向かうところから物語は始まります。
向かった場所は宮城県の多賀城市。
自分も東北の震災前に出張で一度訪れた土地だったので、思わぬところで懐かしさがよみがえり、少し胸が熱くなりました。
■ 兄の後始末と、残された家族の物語
兄には離婚した元妻と二人の子どもがいました。
- 高校生の長女は元妻が引き取り
- 小学生の長男は兄が育てていた
主人公は元妻や娘と協力しながら、兄のゴミ屋敷のような部屋を片付け、
葬儀や手続きなどの「後始末」を淡々とこなしていきます。
その数日間が、丁寧な空気感とともに描かれていくのですが、
ふとした瞬間に“イメージの兄”が主人公の前に姿を見せる。
その浮遊感のある存在感と演技が、まさにオダギリジョーらしさ全開で、とても良かったです。
そして、亡くなった父に対する子どもたちのそれぞれの想い。
母と息子、離れ離れに暮らしてきたふたりの距離が少しずつ埋まっていく過程。
そのひとつひとつが胸に迫り、気づけば目頭が熱くなっていました。
■ “死”が身近に感じられる年齢になったのかもしれない
こうした「死」にまつわる映画を観ると、昔よりずっと涙もろくなった気がします。
若い頃には“遠い出来事”のように思えていた死が、今ではふとした瞬間に
自分のすぐ近くに影を落とすような感覚がある。
今日も映画の余韻に浸りながら、そんなことをぼんやりと思いました。
渋滞の中をゆっくりと帰路につきながら、胸の奥に残った静かな温度とともに
映画のシーンを反芻していました。
